八丁味噌について
今回は日本人のソウルフード、味噌の話。
古くから調味料の『さしすせそ』の一つであり、味噌汁などでお馴染み。最近では健康食品として国内外から注目を集めている。
ちなみに自分は「さしすせそ」について納得していない。「さしす」まではわかるが、「せ」が「せいゆ」で「醤油」だし、「味噌」に至っては み「そ」である。ドレミの歌の "「ソ」は青い空" バリに無理やりだ。
味噌の原料はみんな大好き大豆。大豆から味噌や豆腐、醤油ができるのは本当に不思議だ。大豆の変幻自在性はすごい。イーブイかな?
今回はそんな味噌の中の1つ、八丁味噌について。
・日本三大味噌
一口に味噌といっても、地域によっていろいろなフレーバーがある。
日本人は古くから3という数字にこだわりを持っており、味噌にもまた「日本三大味噌」なるものが存在し、
・信州味噌(白味噌)
・八丁味噌
・仙台味噌
が挙げられる。
ちなみに僕は信州味噌のお膝元、長野県出身だ。信州味噌は全国シェア4割を誇っており、「○コメ」や「ハナ○キ」など有名メーカーが軒を連ねている。もちろん、自分としても信州味噌に誇りを持っているわけで、今回の記事は敵に塩を送るわけではないが、まあ独禁法対策の一環である!!
これらのルーツは戦国時代に遡り、それぞれ
・信州味噌 武田信玄
・八丁味噌 徳川家康
・仙台味噌 伊達政宗
が広めたとされている。
この中で信州味噌と仙台味噌は米麹で作るの米味噌になのに対し、八丁味噌は豆麹で作る豆味噌だ。
ちなみに、麦麹で作る麦味噌も存在している
麹の話をすると奥が深すぎて長くなるので割愛。
・「八丁?」味噌
その三大味噌の一つ、「八丁味噌」。今で言う愛知県三河地方、岡崎市の味噌で、徳川家康(竹千代)の生家、岡崎城のお膝元で製造されている。
信州味噌や仙台味噌は地名であることは推察できるが、八丁味噌の「八丁」とは一体なんのことなのか?
それは八丁味噌が作られている村が「八丁村」だったことから由来している。
もっと深掘りすると、この八丁村、岡崎城から距離八丁(870m)の場所にあることから由来している。
実際歩くと、本当に近くにあることがわかる。
桶狭間の戦いで今川義元が敗れた後、家臣が岡崎の寺に逃げ込み、そこで味噌作りを学んで八丁村に広めたのがルーツとされており、近くを流れる矢作川や東海道などで交易が容易であったことや、ご存知の通り徳川家康が将軍になったことで江戸で広まり、全国的に名が知れ渡ることとなったようだ。
村の名前を背負っているだけあって、メーカーの物理的距離が近い。
道を挟んで向かいに「カクキュー」と「まるや」がある。商業法の距離制限に引っかからないか心配。
・八丁味噌の特徴
米、麦味噌の熟成期間が1年ほどなのに対し豆味噌である八丁味噌は、「二夏二冬」の熟成期間を要する。この熟成期間が長いことで、色が濃い味噌になるんだとか。
味は少々酸味、渋みは強いが、材料が豆。水、塩のみであることから旨味が凝縮され、濃い味となっている。
お湯に溶かして飲んでみると、個人的には正直微妙なテイスト・・・。
香りは強いが醤油を飲んでいる感覚。しょっぱくて渋い豆の汁って感じ。米味噌は普通に美味しく飲めるのに・・・。
しかしここに出汁を加えると、一気においしくなる!!
これは米味噌をも凌駕する勢いで、劇的に変わった
そして、米味噌は煮込みすぎると香りや旨味が飛んでしまうこともあるが、八丁味噌は、煮込めば煮込むほど味と香りが凝縮されるんだとか!!
・八丁味噌の作り方
米・麦味噌の作り方としては、
豆を蒸して潰す→米・麦麹・塩・水を混ぜ合わせる→発酵・熟成
という手順だが
豆味噌は、大豆を蒸した後、拳大ほどの大きさにまるめて「味噌玉」を作り、その表面に麹菌をつけ繁殖させ、圧潰し塩水と混ぜ合わせて発酵熟成となる。
まず、味噌玉作りだ
これは雑菌の付着を防ぐため、冬に行われる。
しかし、冬は逆に麹菌も発酵しない。
そのため、二階建ての味噌蔵の一階で練炭を炊き、二回で発酵させている。
次に仕込みだ。
発酵が進んだ味噌玉を、塩水と共に4.6mの桶の中で圧潰す。
桶に人が入り、水分量を量りながら足で踏み込む。これがなかなかに職人技らしい。
で熟成発酵。桶に蓋をし、その上に重石を置く。重石を置く意味は、下に溜まった水が圧力をかけることで全体に行き渡る。液状化現象と一緒かな??
この重石、真ん中に重心が加わるよう積まれており、揺れが加わっても崩れるどころか、よりガッチリと組まれるんだとか。修得に10年かかるらしいです。
この状態で二夏二冬。
完成!!
カクキューHPより
・まとめ、次回予告
お願い、死なないで小出樹!
あんたが今ここで倒れたら、信州味噌や西京味噌との約束はどうなっちゃうの?
ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、八丁味噌に勝てるんだから!