熊野 〜熊野古道編〜

約2回のスーパー長い前知識を経て、やっと本々題の熊野古道です

 

 

まだの人は読んでね↓

 

 

 

熊野古道の概要は知らずとも、なんとなく名前だけは聞いたことあるって方が多いのではないでしょうか

 

実は熊野古道は通称であり、本当の名前は別にあるんです

 

というわけで、そんな熊野古道の話をしていきます

熊野古道の正式名称

早速本題、熊野古道は世界遺産に登録されており、その登録名は

 

紀伊山地の霊場と参詣道

 

霊場ですよ。厨二心くすぐられますね

 

これは一体なんのことかというと

 

まず紀伊山地

これは和歌山県の北、奈良県の南、及び三重県の北西に位置している広い密林。だいたいジャングルのことです。

 

次に霊場

これは

吉野、大峯山

高野山

熊野三山

のことを指しています

 

最後に参詣道

これが熊野古道。具体的には

 

中辺路(なかへち)

大辺路(おおへち)

小辺路(こへち)

伊勢路

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)

紀伊路

があります。へちへちと意味わかんないですね。へちまでしょうか。 ではそれぞれどんな特徴があるのでしょう

 

 

吉野・大峯山

まず霊場3つの1つ、吉野大峯

 

だいたいこの辺の山です。

ここには

吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺

などがあり、まあ沢山ありがたい建物がありますよ。と。

 

高野山

これは聞いたことある方も多いんじゃないでしょうか。

かの有名な空海が建てた高野山金剛峰寺がある山です。

これが霊場となっているはなんとなく納得ですね

熊野三山

これも前回やりましたね。

割愛します。”さんざん” です  

 

 

 

 

ということで、霊場には有名で文化的な神社仏閣があることがわかりました。

 

続いてへちまの参詣道

 

 

参詣道

中辺路

田辺から熊野本宮に向かう道です

田辺市から東に進み、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社に参詣できる、平安時代の皇族の公式参拝道です、ガチですね

 

大辺路

田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう道です。海岸沿いなので、比較的イージーです。

 

小辺路

高野山から熊野本宮へ向かう、70km山岳ステージです。多分遭難します

 

伊勢路

伊勢神宮から熊野三山へ参詣する道です。山もありますが、基本海沿いなので比較的イージーですが、アマテラスの祀られている伊勢神宮から熊野三山を巡れるとは、いいとこ取りしすぎな気もします。

 

大峯奥駈道

吉野・大峯から本宮大社に抜けるルート。こいつだけ名前がゴリゴリです。

そして紀伊山地を抜けるので、これも山岳ステージ。上級者用です

 

紀伊路

大阪から田辺に続き、中辺路と大辺路の支店に合流する道です。こちらも海沿いのルート

 

参詣道の変遷

この熊野古道を用いた熊野詣りは古く奈良時代から始まったとされており、当時は天皇や位の高い皇族が行っていたとされています。 昔の皇族はこんな修行をしなくてはならないので大変です。 その後は時代の変遷とともに徐々にポピュラーになっていき、その変遷は 奈良時代の終わりから、最初は修行の道として天皇、皇族が。 ↓ 平安時代に貴族の間で盛んに(数十日)都の京都からいい距離感。紀伊路 中辺路 ↓ 室町時代に庶民や武士に。旅のコストが低くなったことに起因 ↓ 江戸時代には東海道で伊勢へ行き、伊勢路で熊野へ。 という感じで、徐々に徐々に民衆に浸透していき、文化が引き継がれていったわけです。

まとめ

と、いうわけで だらだらと3回に分けてまとめてきた熊野編は一旦終わり。 60%くらいの時間を日本神話に持っていかれ、「諸説あり」という魔法の言葉のせいでかなりてこずりましたが、なんとか自分なりにまとめられました ま、日本神話は今後様々な土地をまとめる際に事前知識として必要になるでしょうということで 皆さんもぜひ熊野古道を歩いてみてください。 5つの路をフルコンした人はコメントくださいw

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